2016/06/18 06:17

スラブ叙事詩。

ミュシャの大作です。ミュシャが1910年から1928年ごろにかけて18年かけて描いた連作20点です。ミュシャがアメリカに渡った1906年以降にアメリカに移りますが、そこでチャールズ・クレインとビジネスマンと出会います。クレインはシカゴの大学に呼び寄せた、トーマシュ・マサリク(のちのチェコスロバキア第一代大統領)等のチェコ人達と接触し、スラブ人の文化・歴史に興味を持つにいたります。そして、ミュシャのスラブ叙事詩の構想を知り、出資を決意し、資金面でのスラブ叙事詩の制作を支えることになります。

絵は桁外れに大きな絵でモノによっては8メートル×6メートルという大きさのものもあります。キャンパスはベルギーから取り寄せた特大サイズのものですが、戦争を経てサイズは縮小します。ミュシャはサイズにもこだわったようです。というのも、19世紀までのアカデミックな風潮からすると、歴史画こそ大作にふさわしく、その歴史が重要であればあるほど、大きな画面を与えることができるとされていたからです。スラブの歴史には大画面がふさわしい。ミュシャはそう考えたのです。


スラブ叙事詩の20枚の絵の主題は、チェコをはじめとするスラブ民族の歴史の一場面をミュシャというフィルターを通して表現したものです。その絵は神話や英雄伝を称え伝える叙事詩という名前を使っており、スラブの歴史がミュシャの筆を以て、薫り高く誇らしく描かれているのです。

しかし歴史はいつも英雄だけが活躍して成り立つものではありません。戦争の歴史、ゲルマンとの対立、カトリックとプロテスタントの対立や葛藤、戦いによって命を落とす者、どうにもならない運命の前に絶望した者、そういった無数の人間たちや事柄によって紡ぎだされているものです。それをミュシャは大きな画面に描いています。


我々日本人にとって、スラブ人の歴史はなじみが薄いです。そんなわけで、歴史を知って初めて主題とする事柄がわかるのですが、その歴史が難解!スラブ人が広範囲にわたって住んでいるだけに、その歴史は広範囲すぎるのです。でも、この絵を見る人に言いたいのですが、気を付けてほしいことがあります。それは、先にも書きましたが、ここで描かれている歴史はミュシャというフィルターを通して描かれたものであるということ。ミュシャという人は大変よく研究や取材をした人なのですが、でも汎スラブ主義に傾倒しています。それに事実にはありえない脚色も少々。なので写実的な歴史としてではなく、それはあくまで叙事詩なのです


この作品は現在プラハにあるナショナルギャラリー、ヴェレトゥルジュニー宮殿で展示中です。2017年には日本に渡るそうです。過去、2作だけ日本に上陸したことがありますが、20作というのは初めてだそうです。というか、20作まとめて国外に出ること自体が初めてだそうですから。

またそのうちスラブ叙事詩の美術的な考察を少しづつ載せていけたらな~と思います。